福岡地方裁判所小倉支部 昭和44年(ワ)1050号 判決 1974年3月14日
原告
神村正臣
外六名
右原告ら訴訟代理人
坂元洋太郎
外一名
被告
鹿島建設株式会社
右代表者
渥美健夫
右訴訟代理人
牧野賢弥
被告
大石塗装株式会社
右代表者
大石三一三
右被告両名訴訟代理人
榎本勲
主文
原告らの請求はいずれも之を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
原告ら訴訟代理人は、「一、被告らは、各自、原告神村正臣、同神村ミツノに対し各金五一四万九五〇円、同神村文太郎、同神村栄子、同神村妙子、同神村正見、同徳永友子に対し各金三〇万円および各金員に対する昭和四三年一月二三日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。二、訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに右第一項につき仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
一、(一) 被告鹿島建設株式会社(以下被告鹿島という)は、千葉県君津郡君津町人見所在の訴外新日本製鉄(当時八幡製鉄)株式会社君津製鉄所の転炉工場建設工事を右訴外会社から請負つていたもの、被告大石塗装株式会社(以下被告大石という)は、転炉工場建設工事のうち鉄骨(トラス)塗装工事を被告鹿島から下請し、訴外亡神村平生外数名を雇つて塗装業務に従事させていたものであり、原告神村正臣は、亡神村平生の父、同神村ミツノはその母、同神村文太郎、同神村正見はその弟、同神村栄子、同神村妙子、同徳友子はその妹である。
(二) 昭和四三年一月二二日午前九時三〇分頃、前記転炉工場鉄骨塗装工事現場において、亡神村平生を含む被告大石の従業員らが地上三一メートルの鉄骨塗装作業に従事中、亡神村平生が地上に墜落し、頭蓋骨々折のため即死した。<後略>
理由
一原告ら主張の請求原因第一項の事実(事故の発生等)は当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、事故発生の原因について、次の事実が認められる。即ち、亡神村平生は、訴外新日本(当時八幡)製鉄株式会社君津製作所転炉工場第一注入棟建設現場において、被告大石に雇傭された塗装工として、同僚一名又は二名と共に地上三一メートルの鉄骨塗装作業に従事したが、当該作業現場附近の模様は、転炉工場第一注入棟内のいわゆるE工区(縦五〇メートル横五〇メートルの二五〇〇平方メートル)に該り、組上げた鉄骨上面から吊チェーンにて長さ八メートル太さ五〇ミリ角の鉄製親パイプを約1.5メートルの高さにて3.5メートル間隔で吊り下げ、その上に一メートル間隔で同様五〇ミリ角の鉄製子パイプを直角方向に配置し、太さ2.6ミリの針金で之を結束して吊足場を作り、右吊足場上に直径0.9ミリの二〇番線針金で亀甲型に編まれた巾九一センチ長さ三〇メートルの養生網と呼ばれる金網を一〇センチ重ねてE工区全面に張り敷き、養生網継ぎ目部分は三〇センチ間隔にてその両側部分を二〇番線針金で結束固定し、右養生網に巾二〇センチ厚さ三五ミリ長さ四メートルの足場板(背板ともいう)を並べ敷き、その足場上にて塗装作業に従事する仕組になつていたこと、塗装作業中墜落防止のため、腰のベルトの鉄製の輪に取りつけられたロープの先端にある「なすかん」と称する掛具を鉄骨等に掛けることにより身体を安定させる長さ1.5メートルのいわゆる命綱を着装使用すべきものとされていたが、命綱はその構造上歩行又は移動のときはなすかんを鉄骨等から外さざるをえなかつたこと、塗装現場から約三五メートル離れた個所(<証拠判断省略>)にウインチによる荷揚設備が設けられ、其処から一斗缶塗料を揚げ、之を作業現場近くの梁の上に置き、塗装工は、一斗缶在中塗料が未だシンナーで溶かれてないときはシンナーを混入した後、その所持する小缶(下げ缶ともいう)に塗料を移し入れて作業を継続する建前であつたこと、小缶一杯分の塗料使用時間は大略三〇ないし四〇分間であつたこと、前記養生網は昭和四三年一月初旬設備されたが、それ自体相当の強度を保有し、事故発生当時足場上附近から養生網継ぎ目部分に平均的な体重の大人が倒れ落ちたとしても充分之に耐えうる強度があつたこと、亡神村平生は昭和四三年一月一五日から塗装作業に従事し、同月二二日は午前九時前頃から吉田一夫、永田某と共に、亡神村平生と古田は地上三一メートルの高所に上り、永田某は同じ高所或は地上その他場所は不明であるが、第一注入棟E工区附近で、夫々作業を開始したものであるところ、亡神村平生は、場所的には鉄骨上、吊足場上、足場板上或は養生網上いずれであるかも判然とせず又塗装作業中、その移動中或は塗料補給中かも判然とせず、且亦命綱については、移動の目的か補給動作の必要上か或は確たる目的の有無それじたいも判然としないがなんらかの理由から使用中であつた命綱を外しているうち、足を踏み外し、そのはずみに既にその以前に生じていた養生網継ぎ目部分の開口部から地上に墜落死亡したものであり、本件事故発生の原因は、亡神村平生が自ら過つて足を踏み外したことを除けば、命網を外していたことと養生網の継ぎ目部分に開口部が存したことの二点に集約できる。
二責任原因
(一) 債務不履行責任
ところで原告らは亡神村平生の墜落死は被告らの労働契約上の安全保証債務不履行の結果生じたと主張するのに対し被告らは墜落死は専ら神村平生自身の過失によるものであり、被告らの責に帰すべき事由はない旨抗争するので考えるに、先ず被告らと亡神村平生の契約関係について検討する。
私法上、雇傭契約における使用者の労働者に対する義務は単に報酬支払義務に尽きるものではなく、当該雇傭契約から生ずべき労働災害の危険全般に対して人的物的に労働者を安全に就労せしむべき一般的な安全保証義務を含むものであつて、この点、労働基準法、労働安全衛生規則その他の労働保護法令が行政的監督と刑事罰をもつて使用者に対し労働災害からの安全保護義務の履行を公法上強制するのと法的側面を異にするものと解すべきである。
しかして使用者の労働者に対する私法上の安全保証義務は独り雇傭契約にのみあるものではなく、仮令それが部分的にせよ、事実上雇傭契約に類似する使用従属の関係を生ぜしめるべきある種の請負契約、例えばいわゆる社外工ないし貸工の如く、法形式的には請負人(下請負人)と雇傭契約を締結したにすぎず、注文者(元請負人)と直接の契約を締結したものではないが、注文者請負人間の請負契約を媒介として、事実上、注文者から、作業につき、場所、設備、機材等の提供を受け、指揮監督を受けるに至る場合の当該請負契約にも内在するものであつて、かゝる契約は少くとも、注文者において請負人の被用者たる労働者に対し、被用者たる第三者のためにする契約或は請負人の雇傭契約上の安全保証義務の重畳的引受として、直接、その提供する設備等についての安全保証義務を負担する趣旨の約定を包含するものと解するのが相当である。
そして右法理は、契約法における信義則上、請負人が注文者との関係において必ずしも労働基準法第六条(中間搾取の排除)ないし職業安定法第四四条(労働者供給事業の禁止)等の禁止規定に違反せず、職業安定法施行規則第四条第一項所定の基準を満す程度の企業としての独自性を保有するものであつても変りはない。
そこで之を本件についてみるに、<証拠>を総合すると、本件塗装工事現場は元請である被告鹿島が建築工事を請負つた新日本(当時八幡)製鉄君津製鉄所の転炉工場建築現場内であつて、包括的に同被告の支配管理下にあるのみならず、被告間の鉄骨塗装工事の下請契約締結に当つては、高所作業に必要な足場、足場板、荷揚(塗装用材料を含む)設備、落下物並に墜落防止のための防網等は被告鹿島において提供又は設置し且つ高所作業に伴う具体的な危険防止措置はもちろん塗装作業の内容全般について被告大石とその従業員は被告鹿島の指図に従うべき旨の合意が存し、現に塗装工事が開始され被告大石の従業員が塗装工事現場に入るについては塗装道具等所持品一切は被告鹿島の点検を受け、具体的な塗装作業の工程、手順は転炉工場各棟の鉄骨組立が完了する過程に従い、その都度被告鹿島の指示に従つて行われ(塗装用塗料を荷揚設備で塗装現場まで揚げるのは事実上はその都度双方合意の上塗装工自らが担当したが、元来は被告鹿島の機械係が担当する建前であつた)、被告鹿島の工事関係者は塗装作業中適宜自ら設置、提供した設備、機械の整備、点検、定期的な安全パトロール、計画的な安全教育を実施することにより、塗装工に対し常時作業上及び安全衛生上指揮命令できる立場を失わなかつたこと、之に対し被告大石は、北九州市八幡区に本店を置き、木更津外二ケ所に出張所を有し、主に建築関係の一般塗装工事請負業を営む当時の従業員四〇名位の株式会社であるが、下請契約の趣旨に従い、高所作業に伴う危険防止措置としては、安全教育の外命綱を提供し、塗装作業そのものについては一般的な塗装用道具と塗料を提供し現場監督(神崎光)をおいて被告鹿島との連絡打合せ並に塗装工に対する技術指導その他指揮監督を行わせたものであり、叙上のような被告鹿島との従属関係を承認して下請契約を締結し、塗装工を下請工事に従事させたことが認められる。
右認定の事実に徴すれば、被告大石はなお職業安定法施行規則第四条第一項各号所定の基準を一応満す程度の企業的独自性を保有している(特に下請工事内容中高所作業部分を除く塗装作業そのものの技術面を中心とした部分についてその色彩が濃い)というべきであるが、それにも拘らず、被告鹿島は被告大石との下請契約の内容として、自らは雇傭契約を締結してない被告大石の塗装工に対し、高所における塗装作業の遂行上自ら提供すべき設備、機械器具等について、被告大石の雇傭契約上の安全保証債務を同被告と重畳的に引受けるか或は第三者たる塗装工のため、自ら直接安全保護の給付を与うべき趣旨を約定したものであり、之に対し亡神村平生ら塗装工は現実に就業することにより受益の意思表示をしたものと認めるのが相当である。
そうとすれば、被告大石は雇傭契約の内容として、被告鹿島は被告大石との下請契約の内容として、夫々亡神村平生に対し、鉄骨塗装工事に伴う労働災害に対する安全保証義務を負担したといわなければならない。そこで本件の場合被告らが亡神村平生に対し具体的に如何なる義務を負担したかについて更に審究するに、前認定の事実に徴し、被告らは夫々命綱の慎重な使用について安全教育を施すべき義務と破れや開口部その他の瑕疵がない完全な養生網を設置すべき義務を負担したと解すべきところ、亡神村平生が墜落時命綱を使用した事実がなく且つ墜落前に養生網に開口部が存したこと前認定のとおりである以上、反証のない限り、被告らにおいて右の具体的安全保証義務に違反したものと認めざるをえない(なお、一般的安全保証義務は固より具体的安全保証義務についてもその性質上被告両者は亡神村平生に対し夫々重畳的に之を負担したと解すべきものであり、亡神村平生と特定の被告の間において、当該被告の安全保証義務の負担を排除すべき合意が存したことを認むべき証拠はないし、また、被告鹿島の安全保証義務を受益すべき旨の亡神村平生の意思表示が被告大石の安全保証義務を排除する趣旨の意思表示を包含すると解するのは相当でない)。
然し乍ら、<証拠>を総合すると、命綱の使用については、被告らは亡神村平生を含む塗装工に対し、一般的具体的に徹底した安全教育を施しており、義務の履行に欠けるところはなかつたこと、それにも拘らず、塗装工中には高所作業中命綱を使用するものを指して「鳶」でなく「烏」である旨べつ称する気風の存することからも窺えるように、塗装工のなかには命綱の使用を兎角軽視するきらいがあつたこと、また養生網の開口部については、平素から塗装工において擅に養生網その他の設備を変更作為しないことは厳重に警告されており、その点検も、被告鹿島において毎日始業前点検を行い、事故当日も点検の結果墜落個所附近には破れ結束線の不備その他の瑕疵は存しなかつたものであるところ、亡神村平生の墜落地点は一斗缶塗料の置場でもないのにその直近部に同日使用中の塗料と同質同色の塗料が在中する一斗缶が開口のまゝ置かれており、近くに塗料が殆どない小缶が転がつており、右小缶から振りこぼれた小量の塗料が周辺地上にあつたこと、小缶の容量は塗装作業三〇分ないし四〇分分に相当するが、事故発生の九時三〇分頃は作業開始後三〇分ないし四〇分であつたこと、養生網の継ぎ目部分の結束線は手近な機材を利用すれば容易に開披できるものであること、しかして従来塗装工のなかには小缶の塗料補給に当り労を省くため工事監督者らの眼を盗んで養生網を擅に開披し、空の小缶を釣り下げて地上の一斗缶から塗料の補給を受け、之を引き揚げる方法で塗料を補給するものがいたことが認められ、右認定の事実によれば、亡神村平生は所持する小缶に塗料を補給するため、墜落地点の養生網の継ぎ目を擅に開披し、空の小缶に紐をつけて地上におろし、永田某或は同人以外の何人かに頼んで一斗缶から塗料の補給を受けようとしたとき或は開披後その近くの鉄骨上、足場板上又は吊足場上を歩行ないし移動しているとき、足を踏み外して墜落したこと及び墜落時、直前まで使用していた命綱を自ら外していたことが推知できるのである。
亡神村平生の塗料引揚行為を地上から手伝つていたものが証拠上明らかでないとか引揚げるときに使用した紐の行方が判然としないとか、事故当日における梁上の一斗缶塗料の所在数量がはつきりしない<証拠判断省略>とか証拠上必ずしも明白でない事実が多々存するけれども、なお右認定を動かすに足らない。
そうとすれば、被告らの前記命綱についの具体的な安全保証義務はその履行において欠けるところはないのであつて、亡神村平生の墜落は専ら禁止行為を敢て無視した同人の過失に基因し、被告らになんらの帰責事由はないといわなければならない。
被告らの具体的な安全保証義務につき、前記の義務以上に、塗装工の作業中、常時、監視人を置いて命綱の着装使用に注意しまた禁止行為ないし違反行為を監視すべき義務まで使用者に負担させるのは相当でないし、特に本件の場合、<証拠>からも明らかなとおり、移動時の安全を保証するため命綱のなすかんをつけて身体の墜落を防ぐべき親綱の設置は縦横に張り巡らされた鉄骨や鉄パイプのため塗装作業の円滑な遂行上不可能に近い設備というべきであり、またナイロン製の防網(いわゆるサーカスネット)の設置はその性質上作業場所の足下にかなりの距離を置かねばならずそのため却つて危険な一面があつて必ずしも有効適切な安全保護措置ともいえないのであつて、使用者がなすべき墜落防止の措置としては、その慎重な使用を義務づけた上命綱を貸与して使用させ且つ設備の無断改変を厳重に禁止した上前示構造の養生網を設置したことをもつて必要にして充分な措置を尽したものというべきであり、塗装工が右命綱の使用を嫌うか或は慎重な使用に欠けたか将亦或は移動等のため必要であつたかは必ずしも明らかでないが、自ら命綱を外し、更には養生網の継ぎ目を濫りに開披したゝめ墜落事故が発生したとしても、その責任は挙げて労働者は危害防止のために必要な事項を遵守しなければならない旨規定する労働基準法第四四条に違反した当該塗装工自身に帰すべきものであつて、使用者としては之以上に塗装工の一挙手一投足に注意して、命綱を強制的に使用させ、養生網の無断開披等の禁止行為を常時監視するまでの義務はない。
してみれば亡神村平生の墜落死につき被告らに労働契約上の安全保証債務不履行の帰責事由がない旨の抗弁は理由があるから、債務不履行の責任を問う原告らの請求は所詮失当という外ない。
(二) 不法行為責任
そこで次に原告らの不法行為に基く損害賠償請求について考えるに、前段認定から既に明らかなとおり、亡神村平生の墜落死は専ら同人の過失に基因するものであつて、土地の工作物たる養生網に破れがあり被告らが之を放置したことは本件全証拠によるも之を認めるべき証拠がなく、また、亡神村平生の墜落死について、被告らに過失が存したことを認めるべき証拠はないから、土地工作物の瑕疵及び被告らの使用者としての注意義務違反を主張して損害賠償を請求する原告らの請求も亦失当である。
なお亡神村平生の塗料補給行為を地上で手伝つていたものが仮に訴外永田某ら被告大石の従業員であるとしても、当該従業員の所為につき被告大石に対し使用者責任を問うことは許されないというべきである。けだし、前認定の事実関係のもとでは、亡神村平生の塗料補給行為の責任者は同人自身であり、之を手伝う被告大石の従業員は亡神村平生の依頼を受けた補助者としての立場以上のものではないのであつて、当該従業員には亡神村平生の墜落につき加害行為及び過失と目すべきものは何もないし、更にまた当裁判所は被告大石の従業員と共同して安全のための遵守事項を規定する労働関係法規を敢て無視した被害者である亡神村平生は民法第七一五条第一項にいう「第三者」に該当しいなと解するを相当と考えるからである。
三以上の次第で原告らの本訴各損害賠償請求は、いずれも損害額につき判断するまでもなくその理由がないから之を棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。
(鍋山健 内園盛久 須山幸夫)